人生を変える夢中との出会い。なぜ「手話パフォーマンス」に惹かれるのか
世の中にもっと夢中を増やすために生まれた「くらしの夢中観測所」。
今回は、手話パフォーマンス集団「きいろぐみ」にインタビュー。代表の手話パフォーマー南瑠霞(みなみ るるか)さんとキャストとして活躍するろう者のいくみさん、耳の聞こえるMOMOKOさんに、手話パフォーマンスとの出会いや夢中になったきっかけについて聞きました。
大学でろう者の友達に出会ったことが、「きいろぐみ」の原点
「手話は空中に描き出した1枚の絵! この手話のアートを多くの人に届けよう。自分たちが手話の夢の配達人になろう!!」というビジョンを掲げる手話パフォーマンス集団「きいろぐみ」。手話の歌を中心とした手話ライブやお芝居を盛り込んだ手話ミュージカル、手話による朗読劇、子どもショーなどを全国で行い、手話の映像的な魅力を届けるために活動しています。
代表の南さんは、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会でも手話通訳として活躍。人気ドラマ「オレンジデイズ」やアニメ「聲の形(こえのかたち)」など手話関連の数々の作品に監修として携わっています。
南さんが手話と出会ったのは大阪芸術大学の学生の頃でした。その学校にはろうの学生が多く在籍していたそうです。
「手話を始めたきっかけは、友達になったろうの友人とコミュニケーションを取るため。最初の目的はただそれだけだったんです。その人と毎日喧嘩して、いつも負けていたので、なんとか勝ちたくて手話を磨くうちに上達しました(笑)」
そのおかげで、大学2年が終わるころ、大阪府の登録手話通訳者試験に合格。大学内でも、手話通訳チームを立ち上げ、ろう学生の、授業の手話通訳をする活動に取り組みました。
「手話を教えてくれたろうの友人が『手話で舞台をやりたい』と話していて、それが『きいろぐみ』の原点になったかもしれません」
大学卒業後はラジオ局に入社。しかし、学生のころから続けてきた手話は、目で見る言葉。ろうの友人たちには、あまりに接点のない媒体だと感じ、その後映像系の仕事に切り替えました。
主宰を務める手話パフォーマンスきいろぐみは、1989年旗揚げ。当初、聴者2人、ろう者1人の3人だったメンバーは35年を経て、30人に。キャスト20人のうち、半数はろう者。様々な形で活動を支えてくれているスタッフも、約10人います。
「きいろぐみ」の舞台を見て、「これだ!!」と直感
いくみさんは、特別養護老人ホームで介護福祉士として働いています。勤務する特別養護老人ホームには、ろう者専用のフロアがあり、主にそのフロアで働いています。そこには、ろうの高齢者25人程度が常時暮らしており、その中で、同じ聞こえない介護職員として、仕事をしています。
中途失聴で20歳の頃から徐々に聞こえづらくなったといういくみさん。2015年に「きいろぐみ」に入り、活動を始めて9年目になります。
もともと音楽が大好きだったといういくみさんは、ピアノを習ったり、中高では吹奏楽部でサックスを担当し、卒業後もサックスオーケストラに所属したりと、音楽に喜びを感じていました。聞こえづらくなってからも演奏を続けていましたが、次第に周りの人と音を合わせるのが難しくなっていきます。これ以上、迷惑をかけたくないという気持ちから楽団を離れることにしました。
聞こえなくなってからも、オーケストラやバンドのライブに行き、「聞こえる人の音楽の世界で楽しんでやるぞ!」と思っていましたが、実はつらいとも感じていた、といくみさん。自分には少ないテイストでしか伝わってこないため、音楽の世界からはじき出されてしまったような気持ちになっていたと話します。そんなときに「きいろぐみ」のライブに行くことに。当初は手話パフォーマンスに興味が持てず、友達に誘われて仕方なく付いて行ったそうです。
「当時は、わざわざ手話の音楽をしなくてもいいかな、と思っていました。音が聞こえて初めて音楽だ、と思い込んでいたんです。ところが実際に見て、衝撃を受けました。『本当に聞こえない人がいるの?』と思うくらい、聞こえない人の動きが合っていて、聞こえる人と一緒に、ステージで活躍していたんです」
これまでは聞こえる音楽が本物の音楽だという固定観念がありましたが、聞こえていなくても「きいろぐみ」のパフォーマンスはまさに音楽だと感じさせてくれました。そのパフォーマンスに感動し、「こういう音楽もいいな」と感じたことから手話パフォーマンスを習うことに。すぐに「きいろぐみ」が主催する手話パフォーマンス講座に申し込みました。
実際にやってみると「新しい世界に入ったように感じて楽しかった」といくみさん。一生懸命に取り組む姿を見た南さんに研修生になってみないかと声をかけられます。1年間、研修生として活動した後に、正式メンバーになりました。
一方、聴者キャストとして活動するMOMOKOさんは、手話を始めて8年目。現在、これまで勤めた一般企業を退社し、ろう者関連団体の職員になったばかりです。いくみさんとMOMOKOさんは、高校生の時に出会い、同じ吹奏楽部でサックスを演奏する仲間でした。
「いくみが出演した『きいろぐみ』の舞台を見て、『これだ!!』と直感しました。聴者もろう者も関係なく、手話で歌って踊って楽しんでいる姿を見て『すごい!』と思ったんです」と、MOMOKOさん。
しかし、当時は中学校の音楽の先生をしていたため、忙しくてアクションを起こすことができませんでした。少し仕事に余裕が出てきたタイミングで「きいろぐみ」のことを思い出し、手話の知識が全くない状態から手話パフォーマンス講座に参加することに。講座では、毎週ろう者の方々と、とにかくたくさん手話を実践します。そのため、MOMOKOさんは通い始めて3カ月で手話のおおよその意味がつかめるようになりました。
「ろうの方たちにとって手話は大切な言葉です。手や指の動きが豊かで、視覚的に伝わる言語なので、見ただけでなんとなく意味が分かることがありますよね。そのため、手話には歌詞のイメージが頭に広がっていく感じがあって表現の一つとしてとても面白いと感じました」
イメージが目に見えるように浮かぶ点も手話の魅力の一つ。MOMOKOさんは歌詞を覚えるのが苦手でしたが、イメージに結び付く手話を付けたらかえって覚えやすくなった、と話します。手話は、見る人によっては表現豊かでクリエイティブなものに映ることがあります。代表の南さんもこう語ります。
「初めて手話を見たとき、頭の中で考えたことが、そのまま目の前に浮かび上がるような言語なんだなと、驚きました。私たちは、耳で話を聞いて物事を理解しますが、おそらく聞こえない人の頭の中は、空間に広がるような目で見る言葉でいっぱいなのだと思います。それを見た時聴者は『違う世界が見える』と感動のようなものにおそわれます。それが手話の素敵なところだと思うので、聞こえない人と共に、舞台を作っていけば、手話自体が社会に貢献できる!と考えています。それをいろんな人に見てもらいたくて、聞こえない人と一緒に舞台活動をしています」
頭ではなく、手で考える。新しい言語を習得することは、考える方法まで変える
中途失聴の場合は、声で話したり、筆談したり、残っている聴力を利用して補聴器で聞き取ることも多いため、失聴してすぐ手話を始める人は少ないといいます。しかし、いくみさんは、手話を始めてみようと思いました。小学校のころ、聞こえない人の言葉「手話」があると、習っていたからです。
ただ、最初から、いろんな壁もあったと言います。「まず自分で本などで単語を覚えましたが、いざ、ろうの方の輪に入ると、生きた会話には、まったくついていけませんでした。そこから、様々なろうの方に会い、いろんな表現を教えてもらうことで、少しずつ手話が身についてきたのです」
一方、聞こえる人の輪に入った時も、自分が声を出して話をすると、相手に聞こえるのだと勘違いされ、口頭での会話を続けられてしまうなど、通じにくい思いをすることもありました。
介護の現場では、すれ違いざまにスタッフ同士で相談したりすることもあるため、互いが手話で話せる環境があればいいなと考え、現在の職場に入ったのです。
また、家族や友達に手話を覚えてほしいという強い気持ちはない、といういくみさん。
「例えば聞こえていた時に出会った友達に手話を求めたら、今までの世界が消えてしまうような気がするんじゃないかな? 自分は変わるけれど、周りの人を変えたいとは思わない。だから、それぞれの人と私が話すときは、相手の世界に対応していろんな話し方をしていく感じです。中には、あらためて手話を覚えて話してくれる友達もいて感謝はしているけど、手話だけで私の人生を通す、ということではありません。聞こえる人の世界と、さらに聞こえない世界も知って、世界が2倍に広がったように感じています」
手話を習い始めた最初のうちは頭の中で日本語の文章を考えてから、手話にしたりしますが、慣れてくると初めから手で考えられるようになるそうです。いくみさんも現在は手で考えて話す感覚になっているといいます。
手話には、日本語に手話の単語を一語一語あてはめて表現する「日本語対応手話」と、日本語とは文法構造が異なる「日本手話」があります。日本語対応手話は、母語が日本語の難聴者や、中途失聴者が使うことが多く、日本手話は、ろう者のネイティブな手話。ろうの人の母語ということができます。
手話を始めたころのいくみさんは、年配のろうの人に、「あなたは中途失聴なのね」と言われたりしたことも。
「ネイティブのろう者から見ると、初心者の私の手話は、中途失聴であることはバレバレだったのです。基本的に、手話の使い方が違っていたんですね。そんなことを面と向かって言うのも、ちょっと失礼だな、とは思いましたが、逆に見返してやろう!ネイティブだと思われるぐらいになってやる!と思ったんです (笑)」
奮起したいくみさんは日本手話を磨き、職場で介護する方たちとより自然に会話することができるようになりました。今では「中途失聴なのね!ネイティブかと思った!」と言われるまでに上達しています。
MOMOKOさんも、しばらくは頭で日本語を思い浮かべ、そのあと手話にしていましたが、語彙や語順の違いなどに気付いてからは、初めから手話で考えるようになりました。
MOMOKOさんが手話に夢中になったのは、単純にろうの方たちと一緒にいるのが面白かったから。最初は手話通訳の資格を取るつもりはありませんでしたが、舞台に立って手話をするうちに資格も取ったほうがいいのではないかと気持ちが変わっていきました。資格を取ると決めたら、どっぷり手話の世界に浸かりたいと考えたMOMOKOさんは、自らの手話を活かせる仕事を見つけて応募してみることに。見事採用され、2024年の4月からは新たな職場で仕事をしています。「手話パフォーマンスと出会ってから、自然と人生が変わりました」と、MOMOKOさんは笑います。
ろう者と手話の立場から社会貢献していく
では、手話と手話パフォーマンスの違いはどこにあるのでしょうか?
基本は同じですが、手話パフォーマンスの場合は、表現したいものが観客に伝わるように、体全体で表現する必要がある、といくみさん。
例えば「木」は、普段の手話では手を少し上にあげる程度の動きですが、手話パフォーマンスの際は、その木との距離感や、大きさなどを、視線や手の向き、体全体を使って表す必要があります。「そんな大きな表現を普段の手話でやったら少しうざいですよね」と、笑います。
いくみさんも手話パフォーマンス講座に通い始めたころは、苦労することが多々ありました。特に最初に「桜の木になろう(AKB48)」を習ったときが一番印象に残っているといいます。手話の単語を覚えて歌詞に次々あわせる感じでやっていると、演出の南さんに「それは違う」と何度も指摘を受けました。
「今になってみると、桜が散っていく情景を伝えながら、桜の花びらに観客の目を向けることが必要だったのだと思います。最初に習うには難しい曲でしたが、例えば海ならばそれはどんな海なのか、建物ならばどれくらいの大きさ、遠さなのかなど、手話パフォーマンスで観客の人たちに伝えるための基本を教えてもらえたと感じています」
MOMOKOさんは、読み取り通訳の練習をしていたときに特に苦労したことがあったと話します。複数の意味を持つある手話を見たのですが、それがどの意味で使われているかくみ取れず2時間も考え込んだことがありました。
そんなとき南さんは、本人が自分で答えを見つけるのを、ひたすら待っています。自分で見つけたほうが感動が何倍にもなると考えているからです。
「その表現は、通常『同時に』といった意味の単語でしたが、そのろうの方は『ダブルブッキング』という意味でその手話を使っていました。その2時間はとてもつらかったですが、そういう練習を繰り返したおかげで今の自分ができていると思っています」と、MOMOKOさん。
最後に、手話パフォーマンスで観客に伝えたいことを聞きました。
いくみさんは、手話パフォーマンスを見た人から、「中途失聴で大変だけど頑張っていて偉いね」「聞こえないのにキラキラしていてすごい!」などと言われることがあるそう。でもそれはちょっと違うと思っていると話します。
「聞こえないから頑張っているということではなく、『手話パフォーマンスに惹かれて、今が楽しい!』というところ、その姿こそを皆さんに感じてほしい。踊る語る演技するというパフォーマンスの表現に感動してもらえるとうれしいです」
「きいろぐみ」の舞台は、ろう者、中途失聴の人、手話を勉強中の人、手話を知らない聴者の方と、いろんな人が見に来ています。そのため、誰に、ということではなく、一つの作品として、目の前にいる人に伝えることを大事にしているといいます。
MOMOKOさんも、「私が手話パフォーマンスに出会ったのもたまたまなので、それぞれのお客さんにその時々に伝わることがあればいいな、と思っています」と、話します。
南さんは、「世の中を見てみると、まだまだ『聞こえない人のために手話をやってあげる』とか『手話で聞こえない人を助けてあげる』という発想になりがちな傾向があると感じます。ですが、それを根底からひっくり返したいと考えているんです。『きいろぐみは、むしろろう者と手話の立場から!社会貢献するんだ』とみんなで思っています。聞こえない人も、助けられる側ではなく、手話を通じて、人に夢を与え社会貢献するパワーとエネルギーがあるんだ、という想いで、共に活動しています」と、代表としての信念を語ってくれました。
南さんや「きいろぐみ」との出会いが、いくみさん、MOMOKOさんの人生を大きく変えました。手話パフォーマンスを見て、純粋に「面白い!魅力的!」と惹かれたことから自然と導かれていったことはとても素敵なことだと感じます。これからも、多くの人と手話パフォーマンスとの出会いを生んでいく「きいろぐみ」から目が離せません。
写真協力:手話あいらんど